イノベーション組織
DBS Asia X銀行を「22,000人のスタートアップ」に変えた文化変革
物理的拠点を文化変革の「触媒」として設計し、事業部門の課題を起点とする「プル型」イノベーションで全社変革を実現
イノベーション拠点を設けたものの、本業との接点が薄く「実験のための実験」に陥る。多くの企業が直面するこの問題に対し、シンガポールの大手銀行DBSは、物理的な「場」そのものを文化変革の装置として設計するという方法で答えを出しました。
本記事では、2016年に設立されたDBS Asia X(DAX)の仕組みを解剖し、なぜこの組織がPoCの成果を全社規模の変革へと結びつけられるのかを明らかにします。
「出島」を文化変革の触媒にする設計思想
DAXは、DBSが2014年から進めていたデジタル変革の主要施策として、2016年11月に設立されました。当時のCEOピユシュ・グプタ氏が掲げた目標は、DBSを「22,000人規模のスタートアップ」へ変貌させること。この壮大な文化変革を加速させるため、保守的な本社文化から物理的に離れた場所に、専用の拠点が必要とされたのです。
選ばれた場所はシンガポールのワンノース地域にある研究開発特区「フュージョノポリス」。本社から意図的に距離を置くことで、伝統的な銀行の思考様式から離れた実験的な取り組みを可能にする、一種の「出島」として設計されました。
注目すべきは人材戦略です。初代責任者は「銀行員や開発者ではなく、ワークショップ設計やハッカソン運営に長けた戦略コンサルタント型の人材」を積極的に採用しました。技術者だけでなく、異なる背景を持つ人材を意図的に混在させることで、組織の創造性の源泉としたのです。
Startup Xchange — 事業部門の課題が起点となる「プル型」モデル
DAXの中核機能である「Startup Xchange」は、一般的なアクセラレーターとは根本的に異なるアプローチをとります。決まった期間で外部のスタートアップを募集する「プッシュ型」ではなく、DBSの事業部門が抱える具体的なビジネス課題を起点に、その解決策を持つスタートアップを探索・マッチングする「プル型」のモデルです。
この仕組みの巧みさは、PoCの予算を事業部門自身が拠出する点にあります。「自分たちの予算で買う」という行為が、事業部門の強い当事者意識を生み出し、開発されたソリューションが「他人事」として放置されることを構造的に防いでいます。
コミュニティを「知的資本」に変える3つの仕組み
DAXが単なるイノベーション施設と一線を画すのは、関わった人材を組織の永続的な資産へと転換する仕組みを持っている点です。一過性のプロジェクト参加で終わらせず、継続的なつながりを制度として設計しています。
DAX Social Contract(参加の儀式)
新たにDAXに参加する人が経験する、独自のオンボーディング体験です。物語仕立ての演出の中で10項目の行動規範にコミットする「通過儀礼」を通じて、初日からコミュニティへの強い帰属意識と共通の価値観を醸成します。
DAX A-List(卒業生ネットワーク)
プロジェクトを終えて元の部署に戻った行員や、協業を終えたスタートアップとの関係を維持するための公式アルムナイ(卒業生)制度です。継続的なアクセス権やイベントへの招待を通じて、一度関わった人材の知識や人脈が途切れることを防ぎ、社内外に広がる永続的なネットワークを資産として保持しています。
「世界最高のAI銀行」を生んだ全社変革の連鎖
DAXの成果は、個別プロジェクトの成功に留まりません。長年にわたりAIスタートアップとの協業の「実験場」となり、行員のAIリテラシーを高める「学びの場」として機能し続けた結果、銀行全体のAI活用能力が飛躍的に向上しました。
その成果として、2025年時点でDBSは370以上の業務領域で1,500以上のAIモデルを稼働させ、年間10億シンガポールドルを超える経済効果が見込まれるまでに至っています。そして同年、国際経済誌『Global Finance』から「World's Best AI Bank(世界最高のAI銀行)」に選出されました。
従業員向けのAIコーチングツール「iCoach」や、顧客一人ひとりに最適化された投資提案を行う「ハイパー・パーソナライズ」サービスなど、DAXが培った土壌の上に全社的なAI活用が花開いた形です。
代表的な協業事例
2025-2026年の進化 — AI銀行としての実装フェーズ
DAXが長年にわたり築いてきたイノベーション基盤は、2025年以降、銀行全体のAI能力として結実しつつあります。
World's Best AI Bankの称号をGlobal Finance誌から受賞(2025年)。これは単なる技術的評価ではなく、AIが銀行業務全体に浸透した組織として認められたことを意味します。DBS全体で370以上のユースケースに1,500以上のAIモデルが稼働し、AI関連の経済効果は10億シンガポールドル(SGD)を超えました。
具体的な実装も加速しています。2026年2月には、VisaのIntelligent Commerce(AIエージェントが消費者に代わってカード決済を行うシステム)のアジア太平洋初のパイロットをDBS単独で実施。また、顧客一人ひとりの資産状況に応じた「金融ナッジ」(超個別化された資産形成ガイダンス)の本格展開を進めています。
経営資源の配分も明確です。DBSはAI予算を全技術予算の25%に引き上げる計画を表明しており、AIをイノベーション部門の実験テーマではなく、銀行の中核的なインフラとして位置づけています。
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