イノベーション組織
Lowe's Innovation Labs「未来の店舗」を実装するリビングラボ
実店舗を「生きた研究所」として開発に統合し、ROIではなく「物語」で経営層の合意を取り付ける独自の意思決定
イノベーション部門が生み出したプロトタイプが、概念実証(PoC)の段階で止まり、事業に実装されない。いわゆる「PoCの死の谷」は、多くの大企業に共通する構造的な課題です。
米国のホームセンター大手Lowe'sは、この問題に対して二つの独自な解法を持っています。一つは、実際の店舗そのものを開発プロセスに統合する「リビングラボ」モデル。もう一つは、ROI(投資対効果)ではなく未来の「物語」で経営層の合意を取り付ける「物語主導型イノベーション」。本記事では、2014年設立のLowe's Innovation Labsがこれらをいかに機能させているかを解剖します。
「破壊的イノベーション」を担う組織の設計思想
Lowe's Innovation Labsは、Eコマースの台頭とテクノロジーの指数関数的な進化を受け、「既存事業の漸進的な改善だけでは長期的な成長は不可能である」という強い危機感から2014年に設立されました。公式ミッションは「最先端技術のレンズを通して、ホームセンター小売の未来を加速させる」こと。標語 "We bring the future home" に象徴されるように、Lowe'sが従来型の小売業から「体験提供業」へと転換するための専門組織です。
独立した法人格は持たず、情報・デジタル担当役員の指揮下にあるテクノロジー部門の一部に属します。約30名のコアチームは、ソフトウェアエンジニア、プロダクトマネージャー、クリエイティブテクノロジスト、3Dアーティスト、パートナーシップ責任者など、意図的に多様な専門性で編成されています。
活動は三つの戦略的探求領域に沿って推進されています。
「物語主導型イノベーション」— ROIに代わる意思決定の枠組み
Lowe's Innovation Labsの意思決定の核心にあるのは、「物語主導型イノベーション」と呼ばれる独自の手法です。ROI(投資対効果)の予測が極めて困難な、5年後・10年後を見据えた破壊的イノベーションに対して、感情的・直感的な理解を促し、組織的な支援を取り付けるために開発されました。
設立当初は、プロのSF作家と協力してコミックブック形式で未来のビジョンを描くなど、従来の経営意思決定とは大きく異なるアプローチが採られました。これにより、経営層との議論は「この技術のROIは何か?」から「我々が合意した物語の実現に向けて前進しているか?」へと移行します。
この手法は、チームに長期的な視点での探求を許容する戦略的裁量を与え、短期的な成果に縛られない大胆な挑戦を可能にしています。
三チーム横断体制 — 「PoCの死の谷」を構造で越える
ラボの最大の特徴の一つが、アイデア創出から事業統合までを一貫して実行するために設計された、三つの専門チームによる横断体制です。
とりわけ重要なのは「Development」チームの存在です。このチームは、Creative Technologyチームが生み出したプロトタイプを引き継ぎ、親会社の事業部門と連携しながら全社展開へと導く「1→100」の全責任を担います。プロジェクトの初期から事業部門との合意形成や製品化計画に並走することで、開発されたプロトタイプが「他人事」にならない構造を実現しています。
「能力構築者」としてのスタートアップ連携
Lowe's Innovation Labsのスタートアップ連携は、単なる技術調達や財務的投資とは一線を画します。その最大の目的は、スタートアップが持つ技術、開発手法、スピード感といった無形の資産を「学習」し、自社の組織能力として内面化することにあります。
株式投資ではなく、知識共有や事業能力の共同構築に主眼を置く「資本よりも知識を求める」姿勢が、スタートアップとの対等なパートナーシップを築く基盤となっています。インドのバンガロールを拠点に運営される「CONSTRUCT」アクセラレーターは、ステージを問わずディープテック系スタートアップとの共同開発を推進しています。
代表的なプロジェクト
三つの探求領域と代表プロジェクト
2025年の実装 — 実験から全店展開へ
Lowe's Innovation Labsが長年にわたり築いてきた「リビングラボ→プロトタイプ→全社展開」のパイプラインは、2025年に入って一気に結実しました。実験段階に留まっていた複数のプロジェクトが、全米1,700超の店舗に本格展開されています。
Mylow — 顧客向けAIホーム改修アドバイザー
2025年3月、Lowe'sはアプリおよびWeb向けのAIアシスタント「Mylow」を正式にローンチしました。RAG(検索拡張生成)、OpenAI、NVIDIA NeMo Guardrailsを組み合わせて構築されたこのツールは、膨大な商品カタログやDIYガイドを学習し、顧客のホーム改修に関する質問に即座に回答します。顧客の反応は98%がニュートラルからポジティブという高い評価を得ています。
Mylow Companion — 全1,700店舗の店員向けAIアシスタント
2025年5月5日には、店舗従業員向けの「Mylow Companion」が全1,700店舗に展開されました。在庫照会、製品仕様の説明、顧客対応のサポートを即時提供するこのツールは、小売業界で初めて全店規模に展開された店員向けAIアシスタントとされています。従業員を「開発パートナー」として位置づけてきたリビングラボの思想が、そのまま製品設計に反映されています。
デジタルツイン — 2店舗の実験から全1,750店舗へ
NVIDIA Omniverseを活用した店舗デジタルツインは、当初2店舗での試験運用からスタートしましたが、2025年時点で全1,750店舗への拡大が進行中です。物理店舗のリアルタイムな仮想再現により、本社からのレイアウト最適化や在庫配置のシミュレーションが全店規模で可能になりつつあります。
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