業界別レポート
素材メーカーの「堀」は5種類ある ── 景気耐性と汎用化耐性で競争優位を見分ける
同じ会社のなかでも、堀のある事業とない事業は、時系列で運命が分かれる(連載・全6回/第2回)
発行: アーキタイプ株式会社 / 2026年8月
シリーズ: 素材・化学 新規事業の地図(第2回/全6回)
前回、日本の素材・化学の利益が「5つの堀」に分散していることを見ました。塗料や住宅の③景気非連動、医薬の②規制、半導体材料の①擦り合わせ、酢ビの④規模・寡占──。ですが堀には、大きさだけでなく、もう一つ決定的な性質があります。寿命です。同じ堀でも、景気の谷に耐えられるか、そして10年の汎用化に耐えられるかは、大きく違います。
本記事は、素材メーカーで新規事業を構想する立場の方に向けて、堀の「2種類の寿命」を決算データで測っていきます。競争優位(堀)を1種類でひとくくりにすると、寿命の違いを見落とします。
同じ会社のなかで、堀の質は時系列に割れる
堀の寿命を測るうえで、最も雄弁なのは「同じ会社のなかで、堀のある事業とない事業がどう振る舞ったか」です。前回も社内スプレッドが大きかったクラレを、5期(FY2021〜2025)の時系列で並べてみます。
(出所:EDINET有報・FY2021〜2025のセグメント営業利益/売上を機械抽出)
世界寡占を握るビニルアセテート(酢ビ・PVA)は、化学の歴史的不況年だったFY2023でも利益率21%を維持し、むしろ微増しました。市況全体が軟化したFY2025には15.5%へ下がりましたが、それでも二桁の収益を保っています。
一方、汎用石化のイソプレンは、FY2023に利益率がマイナス16.6%まで崩落し、市況が反発したFY2025でも▲6.1%と、いまだ赤字から抜け出せていません。
同じ一つの会社のなかで、堀のある事業は谷でも回復局面でも高い利益率を保ち、堀のない事業は赤字のまま──両者の差は開いたままです。
同じ対照は、他社にもあります。東ソーのクロルアルカリ(汎用)は17%から1%へ崩落し、FY2025もなお0.5%と戻りません。
一方、日産化学の農薬(②規制)は谷でむしろ上昇し、以後も27〜30%を保っています。勝敗を決めるのは「会社」ではなく、「事業の堀の機構」です。
堀の寿命(その1)景気耐性 ── 不況の谷を越えられるか
FY2023は、化学にとって歴史的な不況年でした。これを「自然実験」として使うと、どの機構の堀が景気の谷に強いかを実測できます。条件のそろった144セグメントを機構別に集計した結果が、次です。
(出所:EDINET経年パネル・144セグメント。趨勢=FY2021→FY2025の営業利益率〈中央値〉の変化)
読み取れることは明快です。
③景気非連動は、谷で利益率がむしろ上昇し、5期の趨勢でも、堀を持つ5機構のなかで唯一プラスに転じています。 需要が市況に連動しないため、景気の谷に最も強いのです。逆に⑤汎用石化は谷で最も崩落し、黒字を保てたのは8割にとどまりました。②規制・④規模・①擦り合わせは、いずれも谷でも9割以上が黒字を維持し、景気耐性そのものは高いといえます。
堀の寿命(その2)汎用化耐性 ── 10年の中国追い上げに耐えるか
景気耐性とはまったく別の、汎用化耐性という寿命があります。中国メーカーの追い上げという、もっとゆっくりした、しかし不可逆な侵食に、何年耐えられるか。これは3〜4期の決算では出ません。10年単位の製品ポジションの変化で見るしかありません。同じ「機能性材料」の括りのなかにも、すでに明け渡した領域と、いまだ守れている領域が、はっきり分かれています。
すでに汎用化が完了した領域:偏光板・電池材料
2024年12月、住友化学は中国での大型液晶用偏光フィルム事業を、現地メーカーへ100%譲渡すると発表しました(2025年3月実行)。この事業の生産子会社(無錫)の売上高は、2021年12月期の281億円から2023年には98億円へ、わずか2年で約3分の1に縮み、営業利益も16億円の黒字から20億円近い赤字へ転落していました。かつての稼ぎ頭が、価格競争のなかで赤字事業へと変わっていったのです。
汎用化が進行中の領域:炭素繊維ラージトウ
風力発電翼などに使う安価な汎用グレードです。2024年前後、中国の上海石油化学が大規模なラージトウ生産ラインを稼働させました。航空宇宙向けの高性能グレードでは日本勢が優位を保っていますが、汎用グレードでは供給過剰と価格下落の圧力が現実になりつつあります。
まだ汎用化されていない領域:先端半導体材料
先端ロジック半導体に使うフォトレジストでは、中国の国産化率は1%程度にとどまるとされ、最先端のEUV向けは量産採用に至っていません。要求される純度・精度がきわめて高く、顧客の製造プロセスと密接に擦り合わせて開発されるため、新規参入者が品質と信頼を確立するまでに長い時間がかかります。つまり、汎用化の速度が構造的に遅いのです。
①擦り合わせ素材だけが「景気に強く、汎用化に弱い」
二つの寿命を重ねると、各機構の輪郭がはっきりします。
③景気非連動は、景気耐性が高く、中国の輸入圧も弱く、両方の寿命が長い。②規制も、登録・認可が数年単位の堀となり、寿命が長い。
④規模・寡占は、寡占を保つ限り長いものの、失えば一気に崩れます(東ソーのクロルアルカリが17%から1%へ崩落したように)。
そして①擦り合わせ素材は、景気耐性は高い(谷でも97%が黒字)一方、汎用化耐性の時計に晒される唯一の機構です。 偏光板も電池材料も、かつては最先端の擦り合わせ素材でした。それが10年で汎用化し、中国に明け渡されました。
①は半導体・車載のサイクルに連動して利益率が大きく振れる機構でもあり、日本ゼオンの特殊材料は25%から12%へ落ちてFY2025に18%へ戻し、デンカの電子材料も21%から10%へ落ちて13%へ戻しています。ただし、この反発は「景気で戻る力」であって、「汎用化で削られる力」とは別物です。戻ったのは前者にすぎません。

堀の2種の寿命マップ(景気耐性×汎用化耐性)──①擦り合わせ素材だけが右下に単独。レポートより抜粋
つまり①は、利益プールの31%を占める最大級の機構でありながら、同時に最も汎用化が速く、最も競争が激しい激戦地でもあります。①に張るなら、汎用化の時計を止める算段──掘り直し続ける仕組み──とセットにする必要があります。
自社の主力は、どちらの時計で削れるのか
新規事業を構想するとき、確かめておきたいのは次の点です。自社の主力事業は、景気の時計で削れるのか、それとも汎用化の時計で削れるのか。①の機構にいるなら、汎用化に備えて堀を掘り直し続ける仕組みを持っているか。②③の機構にいるなら、その長寿命の堀を、変革の切迫感の薄さで眠らせていないか。
堀を「守られ方」と「寿命」で分けて見るだけで、次に踏み出す領域の選び方は変わってきます。では、寿命がとりわけ短い⑤汎用石化は、なぜ不況の谷で赤字に沈むのでしょうか。次回は、汎用品の明暗を分ける「原料ポジション」を、海外メジャーの決算と対比して読み解きます。
本記事は連載「素材・化学 新規事業の地図」(全6回)の第2回です。
記事の元になった業界レポート「素材・化学 新規事業・多角化戦略 実態調査」(全60ページ超)を公開しています。60社の利益地図、5つの堀の機構と寿命、先駆企業6社の事例、20年の新規事業データまでを収録しています。
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