業界別レポート
石油化学はなぜ赤字構造に陥るのか ── 原料ポジションが決める汎用品の明暗
同じ企業のなかでも、原料で優位に立つ事業だけが谷でも黒字を保つ(連載・全6回/第3回)
発行: アーキタイプ株式会社 / 2026年8月
シリーズ: 素材・化学 新規事業の地図(第3回/全6回)
前回、汎用石化(⑤)が不況の谷で最も崩れ、日本の素材・化学の出血の大半をこの一機構が背負っていることを見ました。では、汎用石化の赤字は日本の宿命なのでしょうか。海外メジャーのFY2025決算を、営業利益(EBIT)の段でそろえて見ると、答えは「否、ですが日本だけの問題でもない」でした。
本記事は、素材メーカーで事業ポートフォリオを構想する立場の方に向けて、汎用品の明暗を分ける「原料ポジション」を解説します。
市況の谷でも黒字を保つのは、原料で優位に立つ事業のみ
FY2025は、世界の化学産業にとって厳しい市況の谷でした。この谷で、海外メジャーの汎用石化の明暗ははっきり分かれます。
米国のダウは、汎用ポリエチレンを中核とする「パッケージング&スペシャリティプラスチックス(P&SP)」が、FY2025に営業利益(EBIT)8.27億ドルの黒字を計上し、全セグメント中で最大の柱であり続けました(前年の24億ドルからは落としたものの、なお黒字。営業利益率4.1%)。北米のシェールガス由来のエタン原料と、エチレンからポリエチレンまでの一貫生産という、原料・規模の構造的な優位が、谷でも黒字を支えています。
一方、同じ汎用石化でも、欧州のBASFは対照的でした。BASFの「ケミカルズ」(石油化学・中間体)は、特別項目控除前のEBITDAでは8.53億ユーロの黒字を保ったものの、償却後の営業利益(EBIT)の段では▲88百万ユーロの赤字に転落しました(前年は+5.03億ユーロの黒字)。
さらに見落とせないのは、この明暗が国境だけでなく、ダウという一社の内部でも割れていることです。同じダウでも、シェールエタン由来の原料優位を持たない「インダストリアル・インターメディエイツ&インフラストラクチャー(II&I/基礎中間体・インフラ)」は、FY2025に営業利益(EBIT)▲5.61億ドルの赤字に沈みました(営業利益率▲5.0%)。欧州のBASFケミカルズよりも、はるかに深い赤字です。
(出所:ダウ FY2025 Form 10-K、BASF Report 2025。通貨単位は各社開示のまま)

原料ポジションが分ける明暗──同じダウ社内でもP&SPは黒字、II&Iは赤字。レポートより抜粋
明暗を分けたのは、国でも企業でもなく「原料ポジション」
つまりFY2025の谷が映したのは、「海外は黒字、日本は赤字」という国別の差ではありません。明暗を分けたのは、国でも企業でもなく、原料ポジションでした。 シェールエタンや随伴ガスといったコスト優位の原料に立つ事業(ダウP&SP)は谷でも黒字を保ち、優位のない原料に立つ事業──欧州のBASFケミカルズも、ダウ自身のII&Iも、そして日本の⑤汎用石化も──は、国を問わず、そろって営業利益の段で赤字に沈みました。
日本勢の⑤汎用石化が赤字であることは前回までに見たとおりですが、それは日本固有の宿命ではありません。優位な原料を持たないという構造を共有する、すべての地域・すべての企業に共通する不利なのです。日本勢は、業界の赤字(営業利益段)の91%を、この⑤汎用石化が占めています。

日本の素材・化学の赤字(営業利益段)の91%が、汎用石化⑤の一機構に集中。レポートより抜粋
市況ではなく、コスト構造の非対称
なぜ、原料・立地の不利を抱える地域の汎用石化は、谷で赤字に沈むのでしょうか。
背景にあるのは、エネルギーコストと生産規模という構造的な不利です。日本のナフサ分解は、北米のシェールガス由来の原料や中東の随伴ガス、あるいは中国の巨大な新設プラントと比べて、原料コストでも規模でも劣位にあります。欧州もまた、高い天然ガス価格という不利を抱えており、日本はこの「コスト不利側」に、欧州とともに立っています。
ここで重要なのは、この非対称が「汎用から機能性へ移れ」という処方箋では解消されないという点です。汎用石化の赤字が市況の問題であれば、回復を待てばよいですが、構造の問題である場合、汎用石化を抱え続ける限り赤字は止まりません。実際、市況が反発したFY2025でさえ、日本の素材・化学の赤字の91%はこの⑤に集中しています。日本勢が直面しているのは、回復を待てる問題ではなく、出口を設計すべき問題です。
海外は能動、日本は受け身
同じ構造的圧力に対して、海外メジャーと日本勢の動き方は対照的です。BASFは、コスト不利な欧州の拠点を縮小する一方、中国・広東省の湛江に大規模な統合生産拠点を新設し(2026年稼働)、中国市場の内側に低コスト拠点を持つことで対抗しようとしています。ダウは、欧州の高コスト上流拠点を閉鎖する一方、カナダに世界初の「排出ゼロ」エチレン拠点(Path2Zero計画)を構想し、汎用石化を低炭素プレミアム品として再定義しようとしています(ただし2025年時点で着工は延期中)。
いずれも、汎用石化の構造問題に能動的に手を打っています。これに対して日本勢の多くは、既存設備の採算悪化を受けてから再編に動く、受け身の対応にとどまっています。
反証 ── GXで汎用石化は「低炭素プレミアム」に復権するか
ここまで、汎用石化を「構造的に不利で、出口を設計すべき対象」として扱ってきました。ですが、この前提が崩れる可能性も検証しておきます。
最大の反証はこうです。もし脱炭素(GX)によって、汎用石化が「低炭素プレミアム品」として再び差別化されるなら──同じポリエチレンでも「排出ゼロで作られたポリエチレン」が高い価値を持つようになるなら、「⑤は堀を持たない」という前提は根底から崩れます。汎用石化が、環境規制やブランドに支えられた新しい堀を得ることになるからです。
ただし、現時点の証拠は、慎重な読みを求めます。ダウのPath2Zero計画は着工が延期され、BASFも低炭素化の方向性は掲げつつ、汎用石化を即座にプレミアム事業へ転換する具体策の段階には至っていません。GXによる汎用石化の復権は、方向性としては存在しますが、収益事業としてはいまだ未実証です。
したがって「⑤は堀を持たない」という見立ては当面保持されますが、これは退けるのではなく、監視すべき論点として残しておくべきものです。汎用石化の復権が実証されたとき、利益地図は描き直される必要があります。
自社は、待つのか、それとも動くのか
汎用石化を抱える企業にとって、問いは明快です。この構造問題に、海外メジャーのように能動的に踏み出すのか。それとも、GXによる復権が実証されるまで待つのか。待つ間も、出血は続きます。だからこそ、撤退の出口と、撤退で空いた資源の再配置先を、セットで設計しておくことが要になります。
構造的に不利な機構をどう手放し、どこへ掘り直すか──次回は、実際に本業から遠い領域へ多角化し、堀を掘り直した6社の事例を見ていきます。そして、多角化しながら堀を築けなかった1社も、正面から扱います。
本記事は連載「素材・化学 新規事業の地図」(全6回)の第3回です。
記事の元になった業界レポート「素材・化学 新規事業・多角化戦略 実態調査」(全60ページ超)を公開しています。60社の利益地図、5つの堀の機構と寿命、先駆企業6社の事例、20年の新規事業データまでを収録しています。
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